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Vol.03 秋田県の小学校教諭から日本リーグ選手へ No.03 田代 悠夏

田代選手、こんにちは。田代選手は一昨年まで秋田県の小学校教員として、働かれていたのですね!そして、昨年度オムロンへ入社し、ハンドボール選手として過ごしているという事で、とても珍しいケースだと感じました。皆さんも気になる、生い立ちやハンドボールへの思い等を伺いたいと思います。本日はよろしくお願い致します。
では、さっそく生い立ちを教えてください。

生まれは世界遺産白神山地の麓に位置する秋田県藤里町です。自然豊かで、小さな町ですが町民のみなさんに温かく見守られながら育ちました。
中学は国際交流に力を入れている中高一貫校に通いました。地元から離れた学校でしたが、少しずつ同級生とも仲良くなり中学3年生では生徒会長を務めました。友人や後輩、先生方、たくさんの人たちのおかげで、大きく成長できた三年間だったと思います。
中学では走り幅跳びと100mハードルを、高校では混成七種競技を本種に陸上部に所属しました。混成競技を初めてから幅跳びの記録が伸び、高校1年の時に走り幅跳びで秋田県代表として国体に、また、高校3年の東北総体で混成七種競技優勝しました。

田代選手 幼少期

秋田大学に進学し、講義で初めてハンドボールと出会いました。ハンドボールの教材価値の高さや競技自体の面白さに惹かれ、2年次から秋田大学のハンドボール部に入部しました。その後、日本リーグで挑戦したいという憧れをもちましたが、実績がなく、教員の道に進むことを決意しました。在学中に教員採用試験を通過し、卒業後一年間は秋田県の小学校教諭として勤めていました。その年の秋に、熊本で「ハンドボール研究集会」というハンドボールを教材に授業研究をする全国大会が開催され、そこに参加したことがオムロンに入るきっかけになりました。懇談会で熊本県ハンドボール協会の方とお話しし、日本リーグに挑戦したいという話から勝田GM(当時はGM代行)の連絡先を教えてもらいました。トライアウトはしていないということでしたが、プレーの映像を送り、「せっかくなので練習に来てみませんか?」ということで、年明けに熊本に訪問し練習に参加することになりました。それが同時にトライアウトの実技ということで、オムロンハンドボール部入団に至ります。

田代選手 教員時代

非常に興味深い内容ですね。様々な経験を経て、現在に至るのですね。ではオムロンに入社してからの苦労や良かったことは何ですか?

初めの半年間は練習についていくのがやっとで、帰ったら倒れこむように寝ていました。ハンドボールや仕事、集団生活の中でも覚えることが多く、慣れることに必死でした。二年目になってようやく冷静にプレーできるようになってきたのかなと思っています。まだまだ課題は山積みですが、少しずつできることも増え、今までなかったハンドボール観を学んでいるように思います。
会社では私が現在所属しております、ハンドボールグループで企画を考えたり、現場での業務も経験したりしました。様々な業務を通して、オムロンの商品や取引先について学ぶことに面白さを感じています。

 

田代選手 練習

田代選手 練習

教員とはまた別の大変さ、そしてやりがいを感じているのですね。
今年度から教員の経験が生かせる場所があるとお聞きしました。
それはどんなことですか?また、どう活かしていますか?

今年の7月から小学4~6年生を対象にしたジュニア組織「オムロンピンディーズ U-12」が始動し、コーチとして携わるチャンスをもらいました。教育現場は授業だけでなく、生活指導も重要です。それを、子どもたちが集中してハンドボールに取り組めるための「ルール作り」に生かしています。落ち着いて指示を聴くことができるよう、ボールが気になる子がいたら床に置く、反応を求めることで緊張感を場にもたせる等、環境を整えることを大切にしています。あとは、常にこれからどんな中高校生になってほしいかということを意識しながら、子どもたちと関わるようにしています。

小学生の人格形成に携われること、そして教員の経験がしっかりと生かされていますね!今後の「オムロンピンディーズ U-12」の活躍も楽しみですね。 それでは最後に目標をお願いします。

目先の目標は、チームに必要なプレーヤーになることです。今シーズンはミスなく、自身の長所を存分に発揮できるような選手を目指したいと思っています。 オムロンでの最終的な目標は、日本代表になることです。ハンドボールを始めたときに監督が「田代は、ナショナルになれるぞ!」と言ってくれたことが、今でも自分に期待できる理由だと思います。秋田で背中を押してくれたたくさんの人たちや、ピンディーズ U-12の子どもたちに、今度は自分が勇気を届けることがいつか叶えたい大きな夢ですね!

田代選手